あけましておめでとう御座います。
今年の正月も、大阪に帰省してきました。
いろいろ有りまして、詳しく書こうと思っていましたが、逆に重荷になってなかなか書こうとしないので、簡単にする事にしました。
日程は、29日の夜中、苫小牧港発、30日夜敦賀着のフェリーで帰省し、7日早朝1時頃発のフェリーで戻って来る予定「でした」。
行きのフェリーは揺れて私と娘は船酔いしたものの、なんとか定刻に敦賀着でした。
当初は、私の実家(大阪)に入り、31日に別途空便で帰省してくる相方と合流する予定でしたが、子供達も元気にしているので、もう1日合流を伸ばし、新年明けて元旦に相方の実家(明石)に向かい、妻と合流。そこで2泊し、今度は私だけが私の実家に移動。で、その次の日に相方と子供たちが私の実家に合流、と、なかなかいつもと違う行動でした。
休み中は、相方の実家では水族館に行ったり、温泉に行ったり、墓参りをしたり、住宅展示場を回ったり。
私の実家では、甥っ子たちと遊んだり、墓参りに行ったり。
ま、双方の両親も元気で、よく子供達の相手をしてくれ、楽しい正月でした。
しかし、最後に事件発生。
私の実家に戻ってから、帰りのフェリーが気になって、波浪情報や、フェリー会社の情報を見ていると、荒天の為、帰りのフェリーが出向するかどうか怪しくなってきました。事実、5日のフェリーは欠航になってしまいました。
今回の帰省では、正月休暇を2日延長しており、また遅れる訳には行きません。それと、父親の教えで、「予定が狂うのが分かった時に、手を打たずそのままにして仕事に遅れるのは出来ない社員」と言うのが頭に過ぎり、次の手を考えた挙句、結論は「一番可能性があるのは、走って帰ること」しかありませんでした。
急遽、フェリーを10%の手数料を払ってキャンセル。子供と相方を道連れにするのは酷なので、羽田からの飛行機を急遽手配。高速の1000円割引はありませんが、高速をフルに使って帰る事を決意し、予定を早めて6日の早朝6時半に子供と相方を連れて大阪を出発。
約6時間半掛かって、羽田空港に13時過ぎに到着。飛行機は15時半なので十分間に合った。私は直ぐに首都高に入り、一路東北道へ。慣れない首都高でテンパリながらも、なんとか予定通りのルートで東北道へ入ったのが、14時頃。そこからは時間と路面状況に気をつけながら、とにかく北上。何度か休憩しながら、八戸と青森への分岐点の手前の岩手山SAに着いたのが20時半過ぎ。
で、まずは八戸~苫小牧のフェリー会社へ電話。フェリーは出ているが、キャンセル待ち。次に青函フェリーへ電話。しかしこれも明日一杯は満席。しかし、同ルートの別のフェリー会社「津軽海峡フェリー」を紹介して頂き、そこに電話した所、空席有りで翌2時40分のフェリーの予約完了。で、そこから青森へ向かった。
青森までの高速は、路肩や周りはかなり雪が有るものの、路面は融雪材のお陰でウェット状態。雪もほとんど降って居らず、普通通り走れる。予定よりフェリー埠頭に早く着いたので、フェリーも1便早めて、23:50発に乗れた。
約4時間で函館着。乗っている間は、完全に爆睡で、揺れたかどうかも覚えていない。兎に角、「そろそろ着きます」とのアナウンスで飛び起きた。3時50分下船。少し走るも、やはり眠いので、大沼公園のPAで仮眠。
2時間寝て、7時前に起床。外は明るくなっていた。薄曇の中、大沼公園と、駒ケ岳を眺めながら、ゆっくりと出発。そこからは、落部ICから高速に乗り、苫小牧で降りて、富川・日高・占冠経由で、1月7日の13時過ぎに富良野にたどり着いた。
総走行距離は、1750km。時間にして約30時間。平均燃費は16.2km/Lだった。
11年目に入り、走行距離17万8千キロのオンボロアコード君も、最後まで快調に走ってくれた。
時間もかかり、高速代も3万近く掛かって大変だったが、とても良い経験になった。
それと、やっぱり日本は狭い、と感じた。
それと、やっぱり我が家は良い、とも感じた。
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